[ イラスト ]

2022年07月05日

アーネスト・サトウ+英国公使館プロット開通

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↑アーネスト・サトウSS『to live together.』 イメージ

品川港へは愛馬・フシミ号で送迎に出た。はつみは新たに仕立てたらしい洋服を身にまとっており、これまで以上に華やかで麗しくうつるその姿はサトウの心から『業務の一環』である事を忘れさせる勢いであった。英国紳士が見眼麗しい洋装の女性を馬に乗せ颯爽とゆく姿は、巷でも語り草になった。


★フシミ号とは、明治元年に勝海舟からサトウへ友好の証として送られた黒い馬の事。高輪にあるサトウの自宅から横濱領事館(公使横濱在中の為公使館の機能を移している)までをおよそ3時間で走破していたとの事。
ちなみにこのイラストのはつみちゃんはサイドサドルにて座ってるつもり


ちなみにこのイラストのはつみは「サイドサドル」という乗り方。サイドサドル用のスカートとかあって、それがめっちゃ素敵なんだ~❤️下書きまで全身近くまで構図に入ってたんだけど、こうなった。

英国公使館の同僚・ミットフォードやシーボルトはキャラ紹介でしか描いてないので、イラスト増やしていきたいなぁ~!



natsukaze777
2022年06月20日

沖田総司SS『思い出となるように(R18)』イメージイラスト 

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慶応2年1月19日
 薩長同盟直前のこの日、待ち続けるばかりだった辛い初恋の決着がつきます。

 はつみは大久保一翁に会いに行く龍馬に先駆けて伏見に入った所で沖田と再会しました。身分としては龍馬と同じく薩摩から通行手形を貰い『鬼椿権蔵』として各所検問を通り抜けているので、男装しっかりめ。
 ちなみに時系列的には先日UPした『こまつといっしょイメージイラスト』から数か月後の事。この頃の薩摩はまだ幕府及び会津らと表立って敵対はしていませんが、慶応元年秋に起こった諸外国連合による神戸開港要求事件で一時中断となった長州征討への動きを再開させた幕府に対し、否定的な態度を取り続けているといった状況。もとより近藤は以前からどことなく会津と対立し不穏な動きをする薩摩を信用できず嫌っていましたが、それに加えてこの時上洛中の将軍警備だけでなく長州征討に反対する薩摩が神戸開港要求事件に備える名目で上洛させた薩摩兵も配置されている為、新選組はじめ各所幕府兵達は緊張状態にあった。(兵の上洛は開港要求事件に際し朝廷から京都守護の要請があった為だが、開港要求事件への対応としては遅すぎる出立だった事、英国を始めとする諸外国と軍事的対立を構える気は毛頭なかった事も含め、薩摩は幕府への牽制のために兵を上洛させるきっかけが欲しかったのでは、とも。)
 はつみが薩摩の小松と懇意であり、神戸海軍操練所が閉鎖となって以降は恐らく薩摩のもとにいるであろうという事も、元治元年のはつみ襲撃事件をきっかけにすでに新選組内でも周知される事となっていた。その為、事ここに至り沖田は『自分の立場がはつみとは相容れない』事、『時間を擁すればまた会える日も来るだろうが、それには自分の時間が足りない』事。その他諸々つらい理由ばかりが重なり、結局、近藤からの「桜川殿の事は諦めろ」という通告を受け入れようとしていた所でした。

 永倉が気を利かせて「今そこの通りを抜けてった何某だが、昔よく試衛館に来てたアイツに似てたな…」と適当な事を言い出します。「剣なんてからっきしなくせにお前にまぐれで勝ったアイツだよ。懐かしいな~!総司、確かめて来てくれよ」永倉からでっちあげの、しかしある意味嘘ではない絶妙な依頼を受け取った沖田は、先ほど遠くに見えたはつみの元へと駆け出す。いつもは遊ばせている遅れか髪も含めてひと房にまとめあげ、全体的に暗い色身の羽織、袴を身に着ける『志士』の後ろ姿を捕らえた。人込みをかき分け見失いそうになりながらもようやく追いつき、腕を取る。
「改めたき義がござる。お付き合い頂きたい」
 そう言って、従事していた寅之進もろとも近場の茶屋に入る。主人に改めの為一部屋借り受けると言い放って二階へと上がっていくが、一体どういう事なのかと対峙する寅之進と一触即発となってしまう。何となく事の流れを察したはつみは二人を制し、沖田の話を聞くといって寅之進を先に寺田屋へと向かわせた。



※以下仮SS。キスしてるのでR15。






 愛していた、と言われ、はつみが振り返ってやれなかったその恋心を終わらせようとしているのだと察した。けれどそれ以上に、どうしても振り切れないもどかしい熱が沖田から伝わってくる。
「…総司くん…どうしたい?」
 分かっていてそれを訪ねる自分が、どうかしていると思った。子ども扱いされる事に怒っていた背伸びをする沖田はもういない。背伸びなど必要ない程に心も身体も大人の男となった沖田に対して、あまりにも奇を衒った愚問ではないか。それでも沖田は溢れ出る感情のままに目頭を熱くし、はつみの細い肩を掴む手にじりと力を込める。そして今にも泣きだしそうな声で囁いた。
「…できることなら…貴女を抱きたい…」
 そして瞳からまた涙があふれて行く。
「だけど…それはできません。私の身体は……」
「うつらないよ、私には」
「え…?」
 耳を疑ったのは沖田が言わんとした事に対する『労咳は自分にはうつらない』といった返事そのものに対してでもあったが、それ以上に、労咳の事は伝えていないのに何故知っていたかといった事に対してでもあった。
「労咳の事…どうして…誰かから聞いたのですか?」
 はつみはただ黙って首を横にふるう。
 …おかしなことは今回が初めてではなかった。沖田が麻疹に罹った時も、多くの隊士や芹沢、山南らを斬ってまで新選組が歩む血塗られた修羅道の事も…彼女はいつだって、何故か、殆ど正確に把握していた。そもそも江戸剣術修行に挑む寅之進に『知る人ぞ知る』貧乏道場であった試衛館の存在を教えたのがはつみであったという始まりの所からして、不自然な話であった。
 ―しかしその違和感を突き詰めようとする理性よりも、今目の前で神妙な視線を投げかけてくる彼女の艶やかな唇に視線が吸い込まれていく。はつみを追いかけてこの茶屋に連れ込んだ時点で既に息は上がっていたが、それとはまったく別の、本能から高鳴る鼓動により体中が熱くなり、呼吸が早くなっていった。
 『自分にはうつらない』と言うはつみの言葉の真意は分からない。労咳がうつらないなら世の人々がこの不治の病をここまで恐れ遠ざけようとする事もなかっただろう。冷静であればこれ以上の接触はすべきでない、彼女を同じ道へと引きずり込むべきではないと抑止できたはずだ。だが…
「…本当に、いいのですか……」
 うつるうつらないだけではない、男として触れる事そのものへの意味も込めて問う。細い肩から手を離し、はつみの頬に触れようとする自分の手が震えている事に気付いた。様々な感情が入り乱れている事に違いはないが、最も溢れ出るのはやはり期待と歓喜であろう。
「わたしなんかに…出来る事があるのなら…」
 はつみの表情にはどこか自責の念を感じさせるものがあった。当然だ、女性にここまで言わせる自分の方が情けないのだ。隙を見せつけるはつみの頬に震える手を添え、下唇を噛みしめながら小さく首を横に振って見せる。
 はつみの想い人が自分ではない事も分かっている。若くして発症した病への同情もあるのだろう。それでも、初恋を自ら諦めようとする目の前の哀れな男にせめてもの慰めを与えようとしてくれている。
 ―5年間。その内、この愛しい人とまともに対峙し語り合えたのは両手で数えるほどしかなかった。会いたくても会えないのは物理的な距離か原因だっただけでなく、寧ろ立場的な問題の方が差し迫って深刻な問題であった。それでも沖田ははつみ以外の女の事は何も知らない。水に濡れて布越しに浮き上がった身体を見たのも、熱に火照る胸の柔肌を見たのも、今目の前にいてそっと指先に触れる唇の瑞々しさと温かさを知れたのも…すべてはつみが初めてあり、全てだった。
はつみしか見ていなかった。
「貴女の全てを、知りたいです……知った上で…全てを思い出にしたい」
 病を押してでも抑えきれない欲求に愛しさと自己嫌悪が絡み合って再び涙が込み上げてきた。自分がどんな顔をしているのかもわからないが、はつみはそんな自分を見て切なそうに眉を歪め、震えながら大きく息を吸う。そして沖田の首筋から頬にかけて、まるでくすぐるかの様にするりと彼女の指がかかった。か弱い力で引き寄せられたかと思うなり唇に今まで感じた事のない感触を受け、思わず身体を強張らせてしまった。
「―っ!」
 同時に甘い香りが鼻腔を掠め、あまりに妖艶な香りに瞼の裏で星が瞬く程刺激を受けてしまう。驚き半開きになったままの唇に暖かくぬめる何かが遠慮がちに這った瞬間、沖田の身体に雷でも落ちたかの様な衝撃が走り息もできない程に心臓が締め上げられてしまった。
「―ぁ、は…」
「…ちゅ…総司くん…」
 口吸いというものにここまで気をやってしまったのは、やはり相手がはつみであったからに違いない。名を呼ぶ彼女を見下ろすと、彼女も口腔からの刺激に頬を火照らせてはいたものの、まだ自責の念に駆られた様な遠慮がちな表情で自分を見上げていた。沖田は情けなく泳がせていた手ではつみの身体を引き寄せ、今度は自ら、覆いかぶさる様にしてはつみの口を吸う。
「ちゅ、ちゅぅ…はぁ…はつみさん…はつみさん…」




 ……ってな感じなのを考えているのでありますー!(ここまで書いたんだから普通にさっさとSS書けよという話w)かぐやの君は一部18禁のイチャコラ創作じゃぁ!と脳内では妄想ウッハウハなのに、なかなかソレが描けない私であります。ぐぬぬ…は、恥ずかしくて…!一回描き始めるとがっつりしっかり描くんですけどね…(笑)


WEBサイトでは沖田総司の全プロットを公開致しました。
沖田の悲しくも精一杯な初恋にご興味がありましたら、是非覗いてみて下さい






natsukaze777
2022年02月07日

小松帯刀!
(簡易的史実解説事項には『※』。是非、合わせて当創作を楽しんでもらえたら嬉しいです♪)

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 久々のピクシブライブで配信してたやつなんだけど、なんか頭バグってトレンチコートの襟や胸元が描けず放り投げたやつ(配信でそんなことすんなよw)

 ここ2,3年…いや3,4年ほどかな?絵を描いてるとゲシュタルト崩壊な脳バグがひどくて昔みたいに一発で作画できないのがプチ悩み。創作活動に結構な支障が出る^^;
前はもっとサクサク描けてたんだけどなぁ…という感じ。

 小松も頭の中にいるデザインよりちょっとお顔周りがぽっちゃり童顔になっちゃった;
理想は↓のデザインになりもす。
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 小松清廉帯刀v


 さて、創作の小松帯刀!
 小松とは万延2年(文久元年)長崎語学留学編:終盤で出会う事になっちょりもす!(?)
 爽やかにして穏やか。礼儀正しく誠実。懐広くて友情にも厚い。多岐にわたりその聡明さが冴え渡る(※1)けれども、時々天然。そんな気さくな人柄で接してくれる小松に『親戚のお兄さん』の様な感覚を抱くはつみ。
(※1、アーネスト・サトウによれば、これらの事項に加えて小松は『(当時サトウ曰はく『日本における役職は装飾的・世襲的なものに過ぎず、実質的にはその配下にある有能な人物が物事を回している』と低い評価をしていた事に対し)家老という職についている人物にしては珍しく、政治手腕に長けていた』『西洋的美的感覚から見ても小松は貴人に相応しい顔立ちをしていたが口が大きかった』などといった事を日記に記している。)

 だけどもこう見えて小松は結構な愛妻家※2であり、それでありながらちゃっかり愛妾も囲ったりする『しっかり女性を愛したい人』。(正室との間に子供がいなかったのもあるかも知れないけど。妾もちゃんと身請けした後で身籠らせてる。)
(※2 『千賀(近)』の事。安政3年22歳の時に斉彬公の命により結婚。小松家の婿養子となる。この千賀とは大変仲睦まじく温泉旅行などにも出かけており、実は『新婚旅行のパイオニア』とされる坂本龍馬よりも10年も早く、新婚旅行とも呼べる妻帯旅行を行っていた。しかし妻との間には子供に恵まれなかった。
 また妾は『琴』といい、文久3年29歳の時に京における朝廷及び薩摩の要人達による忘年会及び酒宴などにおいて出会う様になったと言われている。琴を身請けしたのは翌年元治元年の秋頃、当時小松が近衛家から譲り受け利用していた『御花畑屋敷』の接待役として身請けしたとの事だが実際は側室であった(当時琴は17歳)。長男が慶応2年9月頃、長女が明治3年5月に生まれる。ちなみに小松は長女が生まれた明治3年7月20に死去している。)


 そして彼といえば、文久2年12月兼ねてより期待を寄せられていた久光により家老・御側詰へと取り立てられ、しかもいきなり1000石越えの大身に…!!!(ちなみに乾は220石、高杉は新地190石。後に谷家として100石。小松やばくねぇ?)、更に12,3もの要職を兼任!!!!!実は京都守護職!!!!朝廷からも幕府・一橋慶喜からも重宝された男!!!!!!※3
 そういう意味でもとっても『男らしい』お人なんですね。
 彼とはそこのところでエモりたい訳です。(?)
(※3 小松は家老に取り立てられると同時に『御勝手掛、御軍役掛、琉球掛、琉球産物方掛、唐物取締役掛、御製薬方掛、造士館掛、演武館掛、御改革方掛、御内用掛、佐土原掛、蒸気船掛』と、藩政の主要たる役目をあり得ないぐらいめっちゃ兼任させられた。(伝記で初めてこれ見た時、我ながら漫画みたいに『ウ、ウソでしょ!?』ってなったw)その上、朝廷からも幕閣からも信頼を寄せられていた。また、京都守護職といえば松平容保が有名なイメージだが、実は島津久光も京都守護職を任ぜられている。ざっくり言うと容保は幕閣側、久光は公卿薩摩側としてそれぞれ選出される形で京都守護職となっていた。元治元年5月、久光はこの京都守護職を小松に命じて自身は帰藩する。(こうやってしれっと京都守護職になる小松…)その直後7月に禁門の変が起こり、京都守護職であった小松は長州に対し出兵を命じる。西郷らを筆頭に薩摩主導で勝利をおさめ、朝廷と幕閣(一橋慶喜)らと共にこの処理に奔走。これらの対応が著しく評価され、また帰藩命令があり薩摩へ戻った所、京近衛家から島津久光宛てに『小松は朝廷にも幕閣にも必要な男ゆえ一日も早く上洛を願う』とする手紙が届き、慌てて上京する。なんて事があった程。ちなみにこの直後、小松は一橋慶喜に取り立てられ朝幕閣議の参与としてこれに参加する事となる。)



 …で、はつみと出会う時期の彼について。
(※史実※)
 万延元年(安政7年)の小松は斉彬亡き後の久光に取り立てられ(ちなみに斉彬の葬儀を火消隊長として取り仕切ったのは小松)、久光はじめ大久保一蔵ら誠忠派の人々から期待されて毎日誰かしらの訪問を受ける程人気者になっていった。…矢先、日置派である島津左衛門が久光や誠忠派らの台頭を危険視し藩政を牛耳った為、小松は外回り役(弁天波戸台場。約3年後の薩英戦争では砲撃の主力となる)へと左遷。小松はそこでもしっかり務め、むしろ軍艦や砲台など新時代の兵器について熱心に研究。
 新しい藩主茂久が視察に来た時もしっかり案内を務め、藩主以下人々を感心させた。それで、万延2年(文久元年)の1月頃に「長崎で電気水雷研究してこいや」つって長崎に来てましたっていう状況。

 この長崎行きには生涯お友達の北郷作衛門も同行している。
(ワイの考察→当時急に日置派が牛耳り出したものだから誠忠派もめっちゃイラ立ってた事が想像に容易い訳で、この血気盛んな子たちが小松を担ぎ上げて何かやらかす事も考えられる。もしかしたらこの長崎行きも藩主や久光からさり気なく『今は薩摩から離れとけ』っていう配慮もあったのかなぁと思ったり。…逆に日置派から危険視されて『長崎いっとけ』って放り出された可能性もあるけど、小松が仲良くしてる作衛門と一緒っていう所がね。警戒してるなら仲良くしてる人と一緒には出さないでしょうから…。)
(※史実ここまで)

 上記にある小松の状況に加え、
 万延元年春。創作キャラクターの村田経臣も万延元年夏頃から長崎遊学に出ている為、翌年1月に長崎入りした小松と合流。経臣はすでにはつみを始めシーボルト(アレクサンダー14歳※4)、何礼之らとも出会っていて、蘭や清以外の国、つまり英仏露米などなどの世界的台頭を知る。英語獲得の重要性などを小松に説いている。
 小松は『桜川』なる人物に興味をもち、経臣に紹介する様頼む。
 小松にはつみを引き合わせたのは経臣って訳ですね~!
(※4 アレクサンダー・フォン・シーボルト かの有名な医師シーボルトの息子。万延元年当時14歳にして既に4か国語バイリンガル。この頃、父シーボルトの日本出禁が解消されたので息子と2人で安政5年より再来日していた。娘のイネも長崎におり再会している。(尚彼女は長崎伝習所にて教鞭を振るうポンペ医師の元で医術を学んでいる。アレクとは異母兄弟)。万延元年12月にプロイセン・修好通商条約が締結され父シーボルトが幕府の顧問となった関係で、翌年の元治2年の1月、小松達が長崎に入る少し前に江戸へ出ている。何礼之は長崎の通詞。10歳で父の跡を継いでいる。フルベッキ宣教師らからも英語を学び、当時まだ本流ではなかった英語の達人の域に達していたと言う。後に幕府に取り立てられ幕臣となり上京。重要な外交場面等で活躍するが戊辰戦争が勃発し役職を失う。しかし維新直後、小松によって取り立てられ外国事務局判事となり、小松を補佐する。)


 ちなみに経臣君は元々『合同幕末創作はつみさお』で相手方のキャラクターの噛ませ犬的な感じで作ったキャラクターでした。なので新選組の土方が本命だった相手方に合わせて『土方を狙撃した奴※5にしよう』という所から入り、ここはやっぱ薩摩だろ→薩摩に狙撃が上手い人とかっていたのかな→村田ナントカとかいう人がちょうどいる!年齢的にもいいけどなんか意外と凄い人っぽいので(またそこまで歴史を追う気力もなかったので)弟って事でオリキャラ作っちゃおう→(明治編での噛ませ犬なので、龍馬の付き人にさせて英語習得させるなど色々肉付けしていくうちに愛着が沸く)→かぐやの君で再登板、設定を練り直し今に至る
という感じです。
(※5 陣の後方にいた土方を狙撃したのは味方だったって説もよく聞きますが、敵兵による狙撃説を考慮しています)

ですけど、ちゃんと史実上の人物や会社などを調べて設定も組んだのでお蔵入りにさせちゃうのはかわいそう…という事で、かぐやの君で引き続き活躍してもらう事になりました!

tsuneomi01
tsuneomi02
ちなみに、経臣君とは明治編で色々エモる予定です(笑)
後日ちゃんと解説ページつくろ。




 話を戻して、万延元年および2年の長崎。
 小松とはつみの出会いについて、続き。

 ここでもう一つ、万延元年および2年におけるはつみの動向。
 はつみは万延元年の春に龍馬と二人で長崎『遊学』に出ます。当時、龍馬の親戚※からもらった『英語辞書』で英語の独学勉強を始めていたのと、そうした所から河田小龍に話が行き、更に吉田東洋へと伝わった事によって東洋と対談。かの『ジョン万次郎(中浜万次郎)』※の出現と同じ様に、はつみの話が聞き入れられていた。英語事情と当時最先端ともいえる海外知識、教養の高さなどを東洋に見込まれた事がきっかけで長崎遊学が実現したというもの。

に来ていたのだけど、当初予定していた2か月くらいで一旦帰藩。帰藩後すぐに意見書と語学留学願いを提出して、晴れて夏、半年間の『長崎語学留学』が認められ、龍馬・寅之進と共に再度長崎へという感じ。(東洋が一枚かんでる)
(ついでに同時期、武市半平太は岡田以蔵などを連れて西国遊歴に出ているけどニアピンで合流しない。)




(※史実※)
 万延の小松は斉彬亡き後の久光に取り立てられ(ちなみに斉彬の葬儀を火消隊長として取り仕切ったのは小松)、久光はじめ大久保一蔵ら誠忠派の人々から期待されて毎日誰かしらの訪問を受ける程人気者になっていった。…矢先、日置派である島津左衛門が久光や誠忠派らの台頭を危険視し藩政を牛耳った為、小松は外回り役(弁天波戸台場。約3年後の薩英戦争では砲撃の主力となる)へと左遷。小松はそこでもしっかり務め、むしろ軍艦や砲台など新時代の兵器について熱心に研究。
 新しい藩主茂久が視察に来た時もしっかり案内を務め、藩主以下人々を感心させた。それで、万延2年(文久元年)の1月頃に「長崎で電気水雷研究してこいや」つって長崎に来てましたっていう状況。

 この長崎には生涯お友達の北郷作衛門も同行。もしかしたら長崎行きも藩主や久光からさり気なく『今は薩摩から離れとけ』っていう配慮もあったのかなぁと思ったり。…逆に日置派から『長崎いっとけ』って放り出された可能性もあるけど、小松が仲良くしてる作衛門と一緒っていう所がね。

 ちなみに小松が家老に取り立てられるのはこの後。
 (上にも書いたけど)文久2年12月、兼ねてより期待を寄せていた久光により家老・御傍詰へと取り立てられ、しかもいきなり1000石越えの大身に…!!!(ちなみに乾は家督相続後220石、高杉は新地190石。後に谷家として100石。小松やばくねぇ?てか薩摩やべぇ)更に12,3もの要掛職を兼任!!!実は京都守護職※!!!!代理朝廷からも幕府及び一橋慶喜からも重宝された男!!!!!!
 京都守護職といえば松平容保がめっちゃ有名だけど、彼は『幕府側』から選任された。実はそこへ薩摩か公卿あたりが首を突っ込み『朝廷側から』という感じで島津久光が京都守護職に任命されていたらしい。(でもこの薩摩や薩摩寄り公卿らの動きを孝明天皇が嫌い、容保に期待を寄せてたってのも有名な話よね…切ない。)
んで、元治元年4月に守護職を小松に任命して薩摩へ帰ったと。この後禁門の変が起こり、長州を撃退。軍事関係は西郷が切り盛りしてるイメージだけど、小松の指示が無いと流石の西郷でも独断では動けないからね…(と言いつつ久光からの命令は独断ですっぽかしてるけどw)そういう意味でも、小松は裏舞台で奔走しまくっていた。
 功が認められ、久光の命により帰藩。恩賞として様々な贈呈品を受け、更に500石もの加増を受けるがこれを辞退。(500石って…すげぇよ薩摩の財力も…)帰藩した小松に対し「朝廷としても幕府としても小松には京にいてもらわなければ困る!」という書状が久光に届き、小松、急ぎ上京。一橋慶喜にも取り立てられ朝幕議会の参与に加えられると。

慶応3年、京から薩摩に来たばかりの龍馬達に亀山社中という働き口を斡旋し、しかもその前に「貿易とはなんぞや」というものを薩摩・山川港で直接見せてやる逸話も凄く好き。言動のスケールが違う!           


あとあと、小松のまめメモ。
 日本の歴史で認められる『新婚旅行』の先駆けは実は坂本龍馬ではなくこの小松清廉帯刀みたいですね!龍馬達よりも10年も前に、小松は千賀(近)を連れて温泉旅行に行ってるらしい。
 小松は昔からよく風邪ひいたりとあんまり体が丈夫でなかったので湯治にはよく通っていて、それとは別に温泉が好きだったみたい。そこにお嫁さんも一緒に…っていう、なんてうらやま…微笑ましい!!!
 こうした小松の日記とかが出て来たのが戦後…?(恐らく)初めての伝記が出版されたのが1986年(しかも自費出版)と、彼の歴史が世に明かされたのがここ数十年くらいの事だったので、この新婚旅行の通説も割と新しい事実らしいんだけど。

 小松、調べれば調べる程幕末には外せない人物だった。
(私は元々武市半平太ガチ推しの女なんだが)よく武市さんを評する事柄として「人望は西郷、政治手腕は大久保」みたいな事を聞いたのだけど、小松はこの両方を圧倒的に兼ね備えてると思った。小松の日記がもっと早くに見つかって、伝記がもっと早く世に広まっていたら、武市さんを評したこの一言も変わっていたのかも知れないなぁって思っちゃったよね。
「武市先生、その人望と政治は薩摩小松帯刀に匹する」ってな感じでさ。

(※解説ここまで※)


natsukaze777
2022年02月07日
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メインページ、キャラクター別バナーのまとめ版です。
キャラ毎のサブタイトルは四字熟語だったり自作漢詩だったり造語だったり、当時の世界の哲学者・詩人の名言だったりします。

一時期創作に役立てたくて漢詩勉強したけど、語彙が少なすぎて韻がふめないwwwセンスなくてつらwwww
natsukaze777
2022年02月01日
おまけコンテンツとして、大昔に運営していた幕末二次創作サイト『宴』をアップいたしました。

お~い!竜馬:夢小説・イラスト・漫画
幕末恋華新選組:夢小説・イラスト
土佐旅行記などなど 

古すぎてめちゃくそ恥ずかしいんですが…(笑)
●かぐやの君~幕末恋愛遊戯~WEBサイト●
サイトTOPの『宴』から閲覧できます。


しっかし、これでも新選組!のコンテンツとか削除してるし、なんなら当時はドラゴンボールやカンフー映画のサイトなども同時運営しており…我ながら物凄い生産量でした(笑)
以下、ブログ用に抜粋のイラスト一部です♪


・お~い!竜馬 夢創作より・
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natsukaze777
2021年11月24日

最近描いたイラスト

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↑沖田総司

20
↑高杉晋作

22
↑アーネスト・サトウ

02
↑坂本龍馬

最近幕末再燃し始めたんだけど、かぐやの君自体は2006年から続けている創作です。(途中、友人とともに『はつみさお』として合同創作しておりました。)

・かぐやの君WEBはこちら


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