2021年09月25日

ウィリス医師とお万里

お万里

 文久二年の秋ごろからはつみが懇意にする京料亭『白蓮』の 看板娘で、当時16歳。白蓮に拾われた子であり揚屋にいる様な芸妓ではなかったが、月琴や舞の心得があり、その整った美しい顔立ちもあって料亭に華を添える存在であった。(詳細は割愛)
 彼女の妹分であるお琴(14)と共に、作者個人的にはとてもお気に入りのサブキャラクター。

 元治元年、はつみが背中に傷を負った際、会津(新選組)から紹介派遣された蘭学医指導の元、『人手が足らなかった』が故に治療(主に、化膿を阻止する為の徹底的な滅菌消毒)の補佐を行っている。室内に入る者や搬入する道具一つ、その手指や衣類にまで徹底して殺菌を要請する医師の言動、その治療方針に理解を示し納得して自ら拷問のような消毒治療を受け続けるはつみの姿から、『細菌感染』に対する意識を植え付けられる。
お万里はこうして得た体験から医療従事者としての視線や価値観を得る。

 その後もしばらくの間はつみの看病がてら行動を共にする内、はつみが『現代素養』として得ている消毒、衛生、感染予防、栄養学、風邪や軽い怪我への基本的な対処法などをどんどん得て吸収し、またそれを駆使して一行を支えてくれる様になる。
(それは現代の小~高における家庭科授業、または一般家庭レベルの知識・価値観であるが、当時の日本ではかなり洗練された知識となる。←創作での大げさなチートではなく、当時の日本人医療に関する逸話やサトウやミットフォードなどの日記を読んでいると、こう見えてくる)
 はつみ達と行動を共にする=英語に触れる機会も多く、これについては本当にさっぱりわからなかったのだが寅之進が教えてくれるので一生懸命学び、単語とジェスチャーで相手の言わんとする事を理解する事ができる様になってきた。(まだまだ会話はできないが)


 そしてこの記事の本題はここから。
 お万里は明治3年頃に留学から帰国したはつみや寅之進と再会して、寅之進の執筆に関わる全国取材の助手として上京するというエピソードだったのだけど、今まとめてる英国年表でウィリスの野戦病院での奮闘模様や新政府からの正規派遣要請を受けて戦地へ赴く様子などを読んでいると、はつみの女性給仕として共に横濱領事館へ行き、緊急時、看護師としてウィリスの手伝いをするというのもいいなと…。
 サトウやミットフォードの日記を繰り返し読むにつれてウィリスの事ももっと知るようになったので、「こことここが繋がるんだ!」という人脈がどんどん繋がっていく設定をするのが大好きな設定魔としては使いたくなってしまうという、自分としてはあるあるな発想。
 既に合同作品でウィリスを下関戦争のあたりで出したあたりからもっと使いたいなぁと漠然と思ってはいたのだけど、ウィリスの事はこれ以上言ったり更に設定をいじる様な事もしない方がいいなと思う出来事があったので一旦収め…。
 こういう事情からひっこめた案件だっただけにずっと燻っていて、まぁ一人になったし、思う存分一案として記しておこうと思う。
メインに採用するかどうかはまだ分からんけど。



 このウィリス医師は文久2年の春くらいに来航して以来、文久2年秋に起こった生麦事件を始め、薩英戦争、下関戦争、鳥羽伏見戦、上野戦争から会津戦争まで、数多くの負傷者を分け隔てなく治療して博愛精神(赤十字精神)を示し回った。横濱では日本で初めての薬局も開局させた。
 画家チャールズ・ワーグマンが文久元年の横濱で描いたはつみの似顔絵が掲載された新聞に反応を隠せずにいたサトウの影響もあって、はつみの事ははつみと出会う前から知っている。(ワーグマンの聞き違いかつ、はつみも英語の勉強に苦労していた頃で発音が甘かったせいで『hatumi』と表記され、彼らはしばらく『ハテュミ』と呼んでいたのだが)
(ちなみに、インテリリアリストなアーネスト・サトウであるが、着任当時19歳であった彼が18歳の時に突如抱いた日本外交官への興味のきっかけは、得てして『そういうロマン』にも起因すると私は感じる。日本での滞在日記における市井の様子を描くシーン・着眼点においてもその節々を感じるものである。)

 そんなウィリスがはつみと実際に合うのは、元治元年下関戦争直後の下関で、故あって。サトウの紹介でユーライアス号に乗船したはつみの背中にある、癒えたばかりの大傷を診察した。
 当時外国人は『二本差しの男(侍)が放つ刀の一撃の凄まじい殺傷力』を最大限に警戒しており、二本差しがその剣を抜いたなら直ちに撃ち殺せという指示が出回っていた程だった。(アーネスト・サトウの日記に書かれたものを見る限り、それは生麦事件などでも見せた薩摩の『ちぇぇぇすとぉ!!!』の掛け声と共に繰り出される始めの一撃に全力を込める示現流を指しているんじゃないかと考えるw)また、その得物である刀は恐ろしい切創をもたらすと理解されていた。万一に体の一部を切り落とされずに済んだのだとしても致命傷は免れないとも言われており、その治療は単なる縫い合わせでは化膿し敗血症等ともなる油断ならないものであった。
 そういった事前知識もあって、これだけの大きな切創が二次感染や目だった後遺症もなく、粗削りながらもしっかりと癒えている事にウィリスは感心したというイベント。はつみ曰はく、会津の蘭方医が派遣され、その助手にはつみの一行に同行しているお万里という少女が付き、とにかく頑張ってくれたのだと、この時ウィリスの耳に入る。はつみは看護師の重要性も(現代の医療ドラマなどでw)知っていたので、お万里が相当頑張ってくれた事を心から理解し、有難く思っていたが為にここで彼女の名も連ねて出たのである。

 はつみの背中の大傷を蘭方医と共に治療し、西洋医療の視点を得たのは当時としては貴重な経験だったと思うし、はつみの素養から得た価値観や知識も、もちろんウィリスが持つ西洋医学からすれば芽が生えたばかりの知識だけども、その医療目線での意識があるとないというスタート地点の違いだけでも、忙殺されるウィリスの手助けに成りうるのではないかと…。
 何よりお万里は素養のない拾われ子ではあったが、教えれば何でも卒なくこなし身につける器用さと聡明さ、難しく辛い難題にも根気よく取り組む精神の強さ、そして他人に奉仕する事を苦と思わない心がある。

 ―もちろん、政府がお抱えにしようともする程の外国人医師の手伝いに任命されるという機会を得る為には、『人脈』いわゆるコネが、当時の日本の状況から見て絶対的に必要である。そしてそれは既に整っている。また、当時(実際には会津戦争よりも少しばかり後だが)にしてウィリスは看護師として『ナース』を育成する女性雇用・育成の一人者でもあった。
 当時ウィリスに付いて何とか最先端医療を学び取りながら施した『医局』の男達の中には当然良くは思わない者もいるだろうが、それは逆に、医師と看護師の区別すらもついていない事の現れでもある。お万里はカタコトの英語力ながらも懸命にウィリスをサポートし、また気丈で健やかな心と柔らかな声で患者を励まし続けた。麻酔の使い方も覚える。(これがはつみさんの治療時にあれば…と心を痛める夜もあったが、現場では毅然とした態度でサポートにあたった)
 ウィリスは女性が引き立てられる事への反発もとっくに社会的現象として理解しているし、私怨による故意的な事故が発生する可能性についても思考が及んでいる。お万里を守るという意味での配慮も忘れないと思う。

 あれよあれよという形でウィリスに付いて行った時はレベル10くらいだったのが、会津戦争・戦後処理を経て帰ってきたらレベル50くらいになってたってぐらい、現場は壮絶で。(医療ドラマの見過ぎかw)もうこれからも是非、ナースのパイオニアとして共に働きましょうと。
 その間、明治2年頭から明治3年秋くらいまで海外留学してたはつみや寅之進が戻り(サトウも賜暇を終え3年11月から公使館付書記官として再着任する)、寅之進が政府官僚(外務省判事)の推薦を得ても辞退した事に衝撃を受ける。そこまでして彼がやりたい事というのは、全国をくまなく再訪し、はつみの伝記を執筆すると言う事だった。
お万里はこの頃、軍医学校を指揮するウィリスの補佐を行いながら、ウィリスの薦めもあって薬剤師の資格を得ようとしていたが、全国を一人旅するという寅之進に付いていく事に決めた。自発的にという意味では滅多にそんな大胆な行動はとらないお万里であったが、この時ばかりは押しに押した。寅之進はお万里のそういう気持ちにも気付いていたが故に冷静に諭そうとし、お万里が歩み始めた素晴らしい道をゆく様にと伝えるが、今回ばかりはと食い下がった。

「全て寅之進様と共に在りたくて…相応しい女子になりたくて励んできた事なのでございます。今こそ、寅之進様をさぽーとさせて下さいませ…!」

 根負けした寅之進ははつみ、サトウ、そしてウィリスにも相談を持ち掛けたが、お万里は誰の説得も聞く事はなかった。しかし彼女の人生を否定する者もまた、この仲間たちの中には一人としていなかった。
 後に陸奥に相談した時、あの伊藤俊輔がお万里を権妻(妾。明治3年『新律綱領』において呼び方が変わった)にと打診している事を知る。これを聞いた寅之進は更に困り果てたが、お万里と腹を割って話し合い、彼女を助手として『雇う』事にした。

 以後、寅之進と共に全国を取材して回る。道中病人やケガ人がいれば応急処置をし、感謝された。それでも彼女は奢ることなく、人々だけでなく寅之進の心身も癒し支えてくれる。はつみの幻影を追いかけている情けない自分を…。
 その献身的な姿に、寅之進の意識も少しずつ変わり始める。やり場のなかったはつみへの恋心や憧れ、やり場のなかった欲求は少しずつ昇華され、友愛や尊敬へと変わっていった。

 そんな旅の終わりにはつみの衝撃的な真実を知る事になる二人。その時のあらゆる出来事がきっかけで、寅之進はついに吹っ切れる事となる。

…って感じで、最終的にお万里と寅之進がくっつく未来もいいなぁと思い始めたり…!寅之進としては多分、自分で考えどんどん動く様な(それこそはつみの様な)女性が好みなのであって、お万里も看護師としてのノウハウを得た事で自立した女性となったんだよね。しかも美人で誰にでも優しく、そして忍耐強い。はつみの影を追いかけている寅之進に奉仕の一念で付いてきてくれる。

…漢になりましょうよ、寅之進も…!
お万里にも幸せになってもらいたい!!!

その後、(伊藤とケリつけてからw)北海道で事業展開してる龍馬の所へ行くのもイイじゃない…!(※歴史改変があり、龍馬は生存。明治3年はじめに薩摩の幽閉から解放され、当時長崎において倒産寸前のグラバー商会に介入し貿易商として成功。はつみと一悶着あった後、函館支社を任されるも心ここにあらずの状態で栄転のはずがセルフ暗転。そんな龍馬にカツ入れる為について来た佐那子と結婚する!!!)
 お万里はウィリスやサトウの口利きで函館英国領事館付き医官の看護師として働く。薬剤師の資格は英語が捗らなかった為に得られなかったけど(英語は諦めた)、相応の知識は持ち合わせていた為、医師に指示されれば即座に取り出し、その薬が必要な状況まで判断するなど看護師としてより適切に対応する事ができた。また家族、親族、知人の為に無償でその知識は活かされた。
 寅之進はその勤勉さと英語力を生かして龍馬の片腕商社マンになるが、明治後半で出版するはつみの伝記『かぐやの君~初桜月伝~』が大ベストセラーとなり、一財を築く。しかし小説家などになる事は無く、その財をお万里の実家でもある京料亭白蓮の建て替え費用に充て、はつみ亡きあとは彼女の最大の秘密である『学生証』を供養する神社を建てたりした。

お万里は寅之進を看取り、その後も実家に戻る事はなく北海道で生き続けた。
一人息子、龍馬佐那子の子供建ち、領事館の知り合い、地元の人達…多くの人たちから惜しまれながら、人生を大往生した。



お万里が自立して寅之進と結ばれるなら、こんな感じかなぁ~。
途中思いつきで合同の方と違う設定もちらほら付け足したりしてみたけど。(学生証を祀るとか)まだメモ・考察段階なので、これはこれでいいかなと。



natsukaze777
 カテゴリ:  創作用メモ